島や海峡が沢山ある海域は、潮の流れも速く複雑です。
台風接近時に尾道の漁港に係留している船が心配になり、様子を見に行った方が落水し25kmも離れた伯方島で発見されたと言う事もあります。
見た目では判りづらいですが、瀬戸内海の潮流は馬鹿に出来ません。
瀬戸内海には船でしか渡れない島が沢山あります。
Yさんはそう言った離島での釣りが好きで、夜間でも渡船を利用して釣りに行く事がありました。
ある梅雨の日、その日は昼間に雨が降り、少し霧がかかった夜でしたが、貴重な休みを楽しむため、島へ渡ったそうです。
到着して暫くすると、霧も晴れ、ジメジメした空気を押し流すように心地よい風も吹いて来ました。
早速準備をして釣りを始めると、幸先よく良型の魚が釣れます。
「今日来て正解だったな」
Yさんはそう思い、暫く釣った後、満潮を迎えたので、休憩をとる事にしました。
潮が下げ始めたら、次の仕掛けを投入しよう。
そう思い、再開に向けて準備を始めます。
ふと顔をあげると、少し霧が出て来たようで、沖が霞んで見えます。
まいったな…このまま晴れていてくれれば良かったのだが……。
渡船は翌朝まで来ないので、霧でも釣る決意をして準備を進めます。
すると、沖から何か聞こえてきます。
……ぃ
……ぃ
???
よく耳をすませてみると、
ぉーぃ
ぉーぃ
人の声が聞こえます。
今晩、この島に渡ったのは自分1人だったはず。
誰か海に落ちたのか?
沖で海難事故でもあって漂流しているのか?
考えている間にも声は聞こえます。
「大丈夫か〜!大丈夫なら返事をしろ〜!」
Yさんは声の方へ向かって叫びました。
しかし、返事はありません。
ずっと
おーぃ
おーぃ
と言うだけです。
霧も濃くなり、Yさんは気味悪く感じてきました。
声はまだ続いています。
段々と腹立たしくなって来たYさんは、声の正体を確かめてやろうと、ライトで海面を照らしながら、岬の方へと歩きだしました。
しかし、ライトが霧に反射して海面が見えません。
諦めて引き返そうとしたその時、Yさんは足を滑らせ海に落ちてしまいました。
必死に岸を目指してもがきますが、下げ潮が流れ始めてどんどん沖へ流されて行きます。
ふと気づくと、まだあの声が聞こえます。
Yさんは藁にもすがる思いで声に向かって叫びました。
「誰か!そこにいるんだろ!」
おーぃ
おーぃ
「居るなら返事をしてくれ!海に落ちたんだ」
すると、数m先の霧の中から
「なぁんだ…もう落ちてたの…」
と、気味の悪い、嬉しそうな声が聞こえました。
Yさんは恐怖で我を忘れて岸を目指して必死で泳ぎました。
振り返ると海に引きずり込まれる。
いや、次の瞬間にも手足を掴まれ引き込まれるかもしれない。
潮流に流され、自分の位置も掴めないまま、兎に角目の前に見えた小磯まで泳ぎ、手足が牡蠣やフジツボで切れてもお構い無しで上陸しました。
どのくらい時間が経ったでしょうか…。
ふと気づくとあの声は聞こえません。
安心したYさんは、その場で眠ってしまいました。
翌朝、迎えの渡船が予定より遅れて迎えに来ました。
それもそのはず、流れ着いた小磯は、渡船で渡してもらった島から8kmも離れた場所だったのです。
渡船の船長は釣具だけが放置してある状況を見て、慌てて付近の島や磯を探しまわってくれていたそうです。
Yさんと釣具を回収して港へ帰る途中、船長が話してくれました。
数年前にも同じような事が起こり、お客さんから同じ話を聞かされた事がある。
また、海難事故に遭われたお客さんも数名いるが、決まってあの島で流されているとの事。
渡船の船長は、あの島への渡しはもうしない事を決めた。
Yさんはそれ以来夜間の離島釣行は行かなくなったそうです。
夜の海には何が潜んでいるかわかりません。
このおーぃと言う声は、近くの小さな港町でも何度か聞かれているそうです。