なぜ勉強なんかしなきゃいけないの?と言う息子の質問に、母親は机にコップを置いてこう答えた。

「算数」を学べば、この中に200mlの水があると数字で見えるようになり、
「理科」を学べば、この水が水素と酸素から出来ている事が知れる。
「社会」を学べば、この水がどこからやって来たのかが解り、
そして世界ではこの綺麗な水が飲めない人たちが居る事を知れる。
「美術」を学べば、この水の反射を綺麗に描けるようになるし、
「音楽」を学べば、同じコップでも水の量で音を変えられる事にも気づける。
「技術」を学べば、このコップがどんな素材で出来、なぜ漏れないかが解り、人の「創造」の凄さを知ることが出来、
「保健体育」を学べば、この水が身体にどれだけ大切なのか、健康を支える命の正体が見えてくる。
「道徳」を学べば、この水を誰かと分かち合うことの大切さを学べて思いやりの心が育ち、
「国語」を学べば、今わたしが話した言葉の意味を正しく理解出来るようになる。
「英語」を学べば、この話を世界中の人と分かち合えるようになり、
「哲学」を学べば、この話に何の意味があるのかが考えられるようになる。
でも、もし何も学ばなかったら、このコップの中にあるのは「ただの水」で終わる。
だから勉強するの。
この世界をただ見ているだけの人生で終わらせないために。
とあるショート動画で見たものです。
勉強をする以前に知らなければならない、とても大切な事を、人生の半分が終わる今頃気付かされた。
学生の頃は勉強などそっちのけで部活と遊び最優先だったが、30歳を超えるあたりから、勉強って何の為にするんだろう?とぼんやり考えるようになった。
それは資格を取得したり、技術を身につけたりする為に必要な事だったが、物を知り自分に出来る事が増えて来ると見える世界が変わって来た事に気づいたし、その頃から少しずつ学ぶ悦びというものが理解出来るようになった気がする。
そしてそれは社会で自分の居場所を作る事になり、必要とされる場所で働こうと言う意欲にも繋がる。
多分、社会に出て就職し、それで納得してしまって居たら、「ただの水」で終わる道を辿っていたかもしれない。
就職氷河期と言われる困難な時代に、幾度となく死ぬほど苦しい経験をして来たからこそ、学ぶ大切さが理解出来るようになった。
逆を言えば、そういった環境に身を置かなければ、考える事も出来ない人間になってしまっていたのかと思うと恐ろしいものです。
今後も学びの意味を深く深く考えるために、記事にして残しておこうと思い書きました。
さて、最後にコレを釣りに当てはめた場合、どう解釈するかですが、やはり自分から興味を持って学び、深く考える事がレベルアップ、楽しみへと繋がる訳です。
動画や雑誌を見るだけでは、◯◯はこうやって釣るだけ…
つまり、「ただの水」で終わるわけです。
釣りに限らず、色々な事を多角的に見る事が出来るようになると、今まで気づかなかった事が突然鮮明に見えてきたりします。
それまで苦しんでいた事を好転させるヒントが、案外近くに転がっているかもしれません。